|    5月と6月 |
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2008/ 6/22(Sun)
5月は連休の終わりからTPSの公演で韓国のソウルに行き、毎晩大量に焼酎を飲んだ。ソウルのムービースターに絡まれたり絡んだりして久々に酒を飲んでゲロを吐き、記憶を無くした帰り道にごみを拾ってホテルのベッドで抱いて寝た。不覚であり、大変遺憾なことではあるが、このような機会があれば俺はきっとまたそうするのだろう。なんでかというとそのほうが楽しくなるのではないかと思うからだ。それとももちゃんに教えてもらって本番を使って音響オペの練習をした。どうもすいませんでした。 6月の2週目から東京乾電池の「授業」で道内ツアー。観た事がない人は早く観たほうが良いと思うのだが昨日で終わっってしまった。 これも毎晩たくさん酒を飲んでまったくだめだったが、仕方がない。 芝居は良かった。素晴らしかった。 次の作戦を考えよう。 横尾寛 |
|    演劇という言葉 |
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2008/ 4/26(Sat)
朝のJR車内で18くらいの男女がずっと喋ってる。ほかの人たちは無言だ。ずっと喋ってる。うるさい。そして話が極端につまらない。 こういう奴はぶんなぐってやっても罪にならないのではないかと思うがどうなのだろうか。神様だってそうするはずだ。 「演劇という言葉はキライ」という奴がいる。というか、この前いた。それはつまり「芝居って言葉のほうが、いいよね」ってことなのだが、そいつが関わる”芝居”とやらは、”演劇”なんていう行儀正しいものではなくて”芝居”っていうラフで自由なイメージなのよ、ということだろう。 こういうやつは放っておくのが一番なのだが、こういう無自覚な連中が現に演劇に関わっているという事実があるから私は闘っていかなくてはならないのかとも思う。勇敢に。 ”演劇”という言葉が必要とされる場面があることくらい、ちょっと考えれば分かることだ。勿論”芝居”という言葉が適切な場面もあるのだが。無自覚に”演劇”という言葉のもつイメージだけで批判することは、つまり”芝居”っていう言葉の意味にも無自覚なのだ。アナーキーであるということがどれくらい自覚的であることを求められることか。社会との距離感の欠如だ。清く正しい大衆演劇の道は険しい。 |
|    キムラのケツを蹴るという行為 |
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2008/ 4/18(Fri)
夜のセイコーマートでキムラが座り込んで漫画を読んでいる。この人は今年で31歳にもなる人だから俺はそいつの尻を後ろから蹴り上げてやった。コンビニで漫画を座り読みする31歳は見つけ次第尻を蹴ったほうが良い。と信じた。 朝風呂に入りながら反省するのは、俺はどうにも優しすぎるということだ。ケツを蹴る。こんな優しさに溢れた行為をアカの他人の中の他人であるキムラに施してやる、そんな自分の優しさ、親切さが嫌になった。 さらに思う。それはキムラのためにもならない。俺の親切が俺の生ぬるい優しさがキムラをダメにする。もう蹴るまい。キムラのためにも。 ここでキムラのためにキムラを蹴るという親切→その親切がキムラをさらにダメにする→だから蹴るのをやめてあげようという親切 という、意味論的パラドックスに陥るわけだが、このパラドックスはキムラという人にかかわりも持ったことから始まるわけで、キムラという人間との関わりに関する限り、パラドクス回避のためキムラとの関わりを絶つというのが最も有効な方法だと思いました。キムラのケツを蹴ってはいけない。世界が矛盾無く廻るために。横尾 |
|    窓際 |
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2008/ 4/17(Thu)
に席を移したので外がよく見えるのだが、それはつまり外からも私の姿がよく見えるということで、カマウチ君は毎日、そこを通るたびにこちらをみてニヤニヤと微笑んでいて気持ちが悪い。あと、昨日は近所のババアが赤黒い生肉の塊をカラスに与えているのを目撃してこれも気持ちが悪くなった。 私は勇敢でありたいと思うが、なかなかうまくいかない。 「さっきの横尾さん、勇敢でした」 このように言われる人になりたい、または年に何回かは言われたいものだが、正直に告白するならば今まで一度も言われたことがない。 それは私が勇敢な人間ではないからだろうか。 そうなのかもしれない。 しかし同時に疑問も湧き上がる。 今、勇敢である機会を私たちは得ることができるのだろうか。 横尾 |
|    それでは宴もたけなわではございますが |
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2008/ 4/12(Sat)
三本締めと三三七拍子を間違えると大変だ。それでは皆様の健康と益々のご発展を祈念して三三七拍子で参りたいと思います。よーぉ、 しゃん・しゃん・しゃん しゃん・しゃん・しゃん しゃん・しゃん・しゃん・しゃん・しゃん・しゃん・しゃん しゃん・しゃん・しゃん しゃん・しゃん・しゃん しゃん・しゃん・しゃん・しゃん・しゃん・しゃん・しゃん しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ しゃん・しゃん・しゃん |
|    映画館 |
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2008/ 4/ 8(Tue)
「YASUKUNI」の問題をどうとらえるかだが、俺は映画館の問題としてとらえてみようと思う。だいたい、表現の自由、などど人はいうが、そんなものが社会の中には存在しえないことは自明のことではないか。 人は皆、偏った考えを持ち、偏った生き方をする。そしてなにを血迷ったかそのことを「表現」しようなどとする。 まったく馬鹿げたことだと思う。自由などあるものか。 そして劇場というものは、そういう、偏った人たちの、抑圧され偏った表現を、提示し続けなくてはならない場所なのであり、そのためにはそれなりの覚悟と腹の括り方が必要ってもんだ。 街宣車が来たくらいでやめちまうくらいのもんなら、やっぱりやらないほうがいいのだ。 ということを今回の一件では、改めて認識させてくれたのでないでしょうか。 あなたの街の劇場は映画館はどうですか。 そこから先は、きっと市民の問題だろう。 日本の市民は劇場を守れるだろうか。 札幌の市民はどうでしょうか。 札幌の劇場はどうだろうか。 横尾寛 |
|    中学校 |
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2008/ 3/13(Thu)
娘と中学校の名前を考えた。俺「じゃあ、あかぎれ中学校」 娘「じゃあ、おぽんちょん中学校」 俺「ハハハ。じゃあ、ふかづめ中学校」 娘「じゃや、おなら中学校」 俺「アハハハハ。じゃあ、はなぢ中学校」 娘「じゃあ、おけつ中学校」 俺「おけつとかおならとかやめなさい。じゃあ、いぼじ中学校。いぼ中。」 娘「じゃあ、おちょめぽんぴろ中学校」 俺「じゃあ、またずれ中学校。また中。」 娘「じゃあ、きゅうり中学校」 横尾寛 |
|    FAZZ |
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2008/ 2/16(Sat)
ところが使ってみるとFAZZは楽しい。音が良いとかではなく楽しい。 そしてこの楽しさは聴いている人には伝わらないだろうし、だいたいが私はギターが下手なので聴いていても不快なだけだろう。本当に残念だ。 FAZZとはギターのエフェクターの一種で、すごく歪んだ(たいてい、”ひずんだ”、と読みます)変な音がします。ギョネネネーン、ジャボベギョボーン、キョニョペチョポビュワーという音がします。有名なところでは昔、ジミ・ヘンドリックスという人が使って”サイケデリックサウンド”と呼ばれる音を生みました。 横尾寛 |
|    1月 そして2月 |
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2008/ 2/ 4(Mon)
年明けから旅に出てて昨日帰って来た。今回はバラシ後の長距離移動が多く、スタッフ諸氏には大変苦労をかけた。陳謝します。こんな時期に呼ぶもんだから大して寒かったし。此度の旅で思ったことは、俺もこのさきあんまり時間もないからやりたいことを急いでやらなくてはということだ。今日、そのためにかかるお金を試算してみたらだいたいひゃくごじゅうまんえんくらいでした。ひゃくごじゅうまんえんくらいなんとかしたいところだが、あいにくなんともならないので、お金のかからないところからはじめてしまおう。 横尾寛 |
|    12月 |
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2007/12/13(Thu)
久しぶりに買い物をした。まず筆入れを買った。これは今までばらばらに鞄とか手帳の間に挟まれていたペンとか鉛筆の鉛筆の類をひとまとめにしておけば、いざというときにペンとかをサッと取り出せて便利だろうということだ。 そうするとその筆入れの中に入れるものが欲しくなって、 まず三角スケールのコンパクトなやつを買った。三角スケールとは、いろいろな縮尺の目盛がついてる定規です。今持ってるやつは長さが30センチくらいあって邪魔だし、小さいやつを常に持っていれば、いざというときにサッと取り出せて便利だろう。 気分を良くした俺は色がカラーの芯(鉛筆)が10種類くらい装填できるペンを買った。これは結構高かったが、いろんな色を持っていれば、いざというときにサッと取り出せて便利だろうということだ。 さらに気分を良くした俺は楽器屋に行ってギターのエフェクターを物色して、紀伊國という名前の店員に勧められるままにFAZZを買った。これはほんとにあまり使わないと思うが、いざというときにサイケでファンキイな音が出せるから便利だろう。 そのあと本屋で”現代思想を読む辞典”というのを買った。分厚いから読み応えがある。 ずいぶんいろいろ買い物をしたのでお金が減った12月前半。 |